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【感想文】ノルウェイの森・上下巻

村上春樹『ノルウェイの森』上
201126読了

p19「私のことをいつまでも忘れないで。私が存在していたことを覚えていて」

p46「死は生の対局としてではなく、その一部として存在している」
わざわざ太字で強調して書かれていた一文。これがこの小説の要なんでしょうか。

直子と出会い、キズキと別れ、緑と出会って、直子を想って。
孤独だが特別(特異?)な人間に好まれるワタナベという人間の「生死」の記憶の物語。

永沢みたいに自信に満ち溢れる変人が好きです。
ただ直子あまり好きじゃない…しかし気になる存在というか…。

ワタナベと直子はキズキにいつまでも囚われている。
ワタナベは直子とキズキにいつまでも囚われてる。
そんな印象を残しました。

直子の「不完全さ」とか、緑の「愛すること」とかは、なんとなくわかるんだけど、私はそれを求めたいとは思えない。
人生の中に大きな『大切なもの』が有って、それが何かの拍子で突然無くなって(無理やり奪われて)しまった人達が、レイコさんや直子みたいになるんだろうか。
キズキも直子と同じだった?しかしキズキのが先に発症してしまった?
直子とワタナベがキズキに囚われてるんじゃなくて、ワタナベが直子とキズキに囚われてるし、直子とキズキはワタナベに依存しすぎたのか?。

ワタナベにとって「記憶(忘却)」が何かの伏線なんだろうか。
アンサイクロペディアに載ってた「直子がヤンデレ」「緑がツンデレ」が超しっくりきた。

蛍の場面は印象的でした。突撃隊はどこに行ったんだろう…。
映画はつねにセックスシーン多めらしいけど小説も多めな気がする。
ワタナベは常に満たされないぜ渇いてるんだぜみたいな印象でした。


つうかワタナベがどうみても未成年に見えない件について!!!!←
ぶっちゃけ超短編のが私は好み。


***
村上春樹『ノルウェイの森・下』
20111205読了


直子と離れ、緑と通わし、ワタナベは大人になり、そして直子は…。
ワタナベは「無個性主人公」でなく、「特殊性主人公」。常に自分に正直な人間である印象が増しました。
死を扱う小説として、生を扱う為に性行為は外せないものなんだろうな。

でも直子がワタナベを愛していなかったと言いきれるんだろうか…。結局直子が死んでしまった=キズキの元へ行ってしまった=キズキしか愛していなかった、ということになるのかな。
ワタナベは緑と幸せになれるのかな。
結構なバッドエンドなんじゃないか?

上巻冒頭の「穴」の話を読み返したいけど図書館に返しちゃったからない。
きっと、みんな、それぞれ「穴」に落ちて行ったんだろうな。
まずキズキが落ち、直子が落ち、そしてワタナベはその「穴」の中でじわじわと死へ向かっている。


もう何回か読み直さないと話が繋がらないなぁ…。難しい。
あと永沢さんの合格祈念食事会?の所で、彼の言ってることも理解できなかった。
ワタナベはまさかハツミさんとヤるのかと思ったらヤらなかった。
まさかのレイコさん。




p167「自分に同情するな」と彼は言った。「自分に同情するのは下劣な人間のやることだ」


あと、わたしみどりきらい。←
でも
p46「(前略)『駄目よ、本当に駄目、そんなに大きくて固いのとても入らないわ』って」
「そんなに大きくないよ。普通だよ」
には吹いたwwww


カタカナ表記と漢字表記の違いは関係あるのかな。




p258「僕は今どこにいるのだ?」





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