[sor ato e ru]
青空の羽を秘める少年と、堕ちた神の使いに似て非なる者の話
07.泣け
一匹の鬼と一人の娘の御伽話。
今は昔、ある深い森の中、一匹の鬼が住んでいた。
近くの村には七年に一度、山の奥の洞窟へ村の豊作を願い、娘を捧げる儀式が有った。
『今宵、神の怒りを鎮める為に娘を捧げん』
『我が村に豊作の契りを』と。
――【朱き実つけよ実葛(サネカズラ)】――
「(また、か)」
闇に浮かんだ金の眼が二つ、音無く篭へ歩み寄る。
篭の中身は二つに一つ。恐怖に敗れて泣く娘か、人を憎み仇とする娘。
いづれにしても、今迄見てきたこの籠に入た者は全て、己が感情を露に見せ、彼を見るのち、泣き喚いた。
「(厄介な事だ)」
彼は物の気。人と似て非成る者。頭に生える二本の角が人外の証。
籠を開ける前に、鬼は「おい」と一声、呼び掛ける。
「村の者はもういない。外へ出て、好きな所へ行くが良い」
そう言い捨てて、そこから離れ、樹々の影に身を潜めた。娘が無事に篭から出て、帰る姿を見届けるために。
しかし、この時ばかりは様子が違う。いくら待てども、篭から物音ひとつ聞こえてこない。娘が出て行く気色もない。
鬼は気掛かりになり、二度び籠に歩み寄り、煩わしく思いつつ、籠を開けた。
そこに娘は居た。しかし怯える事も狂う事もしていなかった。
娘は静かに、小さく息をたて、眠っていた。
鬼は例にみない娘を見て、驚嘆しつつも考えた。こいつを一体どうしよう。森に置き去りにしては獣に襲われかねない、と。
鬼は娘を住処へ連れて行き、静かに寝かせ、近くに寄ろうともせず、遠く夜が明けるのを待っていた。
森に光が射し始め、娘が目覚めたのは丁度その頃、鬼を見ても泣かず狂わず、静かに「此処は」と呟いただけだった。
「俺の住処だ」と
鬼は応える。
「私は喰われるのですか」
と娘はあまりに静かに問い掛けた。
鬼は話した。今まで生贄として捧げられた娘たちは、全て喰ってなどいない。娘と同じような方法で逃がし、何処か遠くへ行ったのだ、と。後に、お前は殊だった、と付け加えて。
「私は如何すれば」と囁いたので
「村へ帰り、親と隠れて暮らせば良い」と言えば
「親は死にました」
と娘は言う。
鬼を見つめる娘の瞳は人形の様に冷たく鈍い。
温かな『生』というものが、全く感じられなかった。
試しに鬼が「泣け」と威嚇してみれど、顔色を変えず静かに鬼を見続けた。
「泣けば、宜しいのでしょうか」
瞳は漆黒。光も無い。
「もういい加減、どこへでも好きな処へ行けば良い」
「好きな処、ですか」
そうして娘は立去るもの、だと思うや否や
「此処に居ます」と応え鬼の隣りへ腰を下ろした。
鬼は目を円くした。考えもしなかった。
其れから鬼の住処には娘が居る。
娘の口数は少ないものの、鬼に興味はあるようで、いつもその着物なのか、風呂は入っているのか、終いには双六は強いかなど、他愛のない事までも知りたがった。
しかし、何時しか鬼にもそれが自然となっていた。娘が住み着き幾度目かもわからなくなった陽が沈む頃、ふと、娘は呟いた。
「例え叶わぬ願いでも、貴方は聞いてくれますか」
「聞くだけなら」
鬼の応えにくすりと笑い、空を見、娘は囁いた。
「何時か来世が有るのなら、また貴方と出会いたいと思うのです」
「其れは鬼として、か」
「貴方と共に居られるなら、鬼と成るのも構いません」
「…面白い」
その時の娘の瞳には冷たさは感じられなかった。
――或る、月の見えない深い夜。
遂に娘の呼吸は荒くなる。
鬼は物の化、触れれば特異な妖気に毒される。この娘も例外ではなかった。
鬼は慣れない病に慌て慌てふためき、
床に伏した娘に限りを尽くす。
娘は簪を手に取ると、そっと鬼へ手渡した。
「この花を持っていて下さい」
薄黄金色の花を象る簪飾りは、美しく儚い娘とよく似ていた。
「私は先に朽ちようとも、この花を頼りに貴方を探し、必ずや見つけだしましょう」
鬼は娘の白き手をそっと己の頬に当て、赤き手で包む。頬には雫が伝い落ち簪の花を濡らす。
「来世で貴方を待っています」
糸の様にか細い声は、次第に冷えて
なくなった。
鬼は哀しみに暮れ、泣き続けた。
いづれ鬼も土に還る時が来る。
その最期の時、彼を看取る鳥達へ、詠うように呟いた。
『来世とやらが有るのなら
願わくば人と成り、
娘と二度び出会いたい』と。
それから幾年時は過ぎ
儀式はおろか、村の伝えも消え果てて
洞には永い年月により静寂のみが付いていた。
鬼と娘が再び出会えたかは今や誰も知る者はなく、
洞の前の森の中
紅の実が唯、人を待つ。
今は昔、ある深い森の中、一匹の鬼が住んでいた。
近くの村には七年に一度、山の奥の洞窟へ村の豊作を願い、娘を捧げる儀式が有った。
『今宵、神の怒りを鎮める為に娘を捧げん』
『我が村に豊作の契りを』と。
――【朱き実つけよ実葛(サネカズラ)】――
「(また、か)」
闇に浮かんだ金の眼が二つ、音無く篭へ歩み寄る。
篭の中身は二つに一つ。恐怖に敗れて泣く娘か、人を憎み仇とする娘。
いづれにしても、今迄見てきたこの籠に入た者は全て、己が感情を露に見せ、彼を見るのち、泣き喚いた。
「(厄介な事だ)」
彼は物の気。人と似て非成る者。頭に生える二本の角が人外の証。
籠を開ける前に、鬼は「おい」と一声、呼び掛ける。
「村の者はもういない。外へ出て、好きな所へ行くが良い」
そう言い捨てて、そこから離れ、樹々の影に身を潜めた。娘が無事に篭から出て、帰る姿を見届けるために。
しかし、この時ばかりは様子が違う。いくら待てども、篭から物音ひとつ聞こえてこない。娘が出て行く気色もない。
鬼は気掛かりになり、二度び籠に歩み寄り、煩わしく思いつつ、籠を開けた。
そこに娘は居た。しかし怯える事も狂う事もしていなかった。
娘は静かに、小さく息をたて、眠っていた。
鬼は例にみない娘を見て、驚嘆しつつも考えた。こいつを一体どうしよう。森に置き去りにしては獣に襲われかねない、と。
鬼は娘を住処へ連れて行き、静かに寝かせ、近くに寄ろうともせず、遠く夜が明けるのを待っていた。
森に光が射し始め、娘が目覚めたのは丁度その頃、鬼を見ても泣かず狂わず、静かに「此処は」と呟いただけだった。
「俺の住処だ」と
鬼は応える。
「私は喰われるのですか」
と娘はあまりに静かに問い掛けた。
鬼は話した。今まで生贄として捧げられた娘たちは、全て喰ってなどいない。娘と同じような方法で逃がし、何処か遠くへ行ったのだ、と。後に、お前は殊だった、と付け加えて。
「私は如何すれば」と囁いたので
「村へ帰り、親と隠れて暮らせば良い」と言えば
「親は死にました」
と娘は言う。
鬼を見つめる娘の瞳は人形の様に冷たく鈍い。
温かな『生』というものが、全く感じられなかった。
試しに鬼が「泣け」と威嚇してみれど、顔色を変えず静かに鬼を見続けた。
「泣けば、宜しいのでしょうか」
瞳は漆黒。光も無い。
「もういい加減、どこへでも好きな処へ行けば良い」
「好きな処、ですか」
そうして娘は立去るもの、だと思うや否や
「此処に居ます」と応え鬼の隣りへ腰を下ろした。
鬼は目を円くした。考えもしなかった。
其れから鬼の住処には娘が居る。
娘の口数は少ないものの、鬼に興味はあるようで、いつもその着物なのか、風呂は入っているのか、終いには双六は強いかなど、他愛のない事までも知りたがった。
しかし、何時しか鬼にもそれが自然となっていた。娘が住み着き幾度目かもわからなくなった陽が沈む頃、ふと、娘は呟いた。
「例え叶わぬ願いでも、貴方は聞いてくれますか」
「聞くだけなら」
鬼の応えにくすりと笑い、空を見、娘は囁いた。
「何時か来世が有るのなら、また貴方と出会いたいと思うのです」
「其れは鬼として、か」
「貴方と共に居られるなら、鬼と成るのも構いません」
「…面白い」
その時の娘の瞳には冷たさは感じられなかった。
――或る、月の見えない深い夜。
遂に娘の呼吸は荒くなる。
鬼は物の化、触れれば特異な妖気に毒される。この娘も例外ではなかった。
鬼は慣れない病に慌て慌てふためき、
床に伏した娘に限りを尽くす。
娘は簪を手に取ると、そっと鬼へ手渡した。
「この花を持っていて下さい」
薄黄金色の花を象る簪飾りは、美しく儚い娘とよく似ていた。
「私は先に朽ちようとも、この花を頼りに貴方を探し、必ずや見つけだしましょう」
鬼は娘の白き手をそっと己の頬に当て、赤き手で包む。頬には雫が伝い落ち簪の花を濡らす。
「来世で貴方を待っています」
糸の様にか細い声は、次第に冷えて
なくなった。
鬼は哀しみに暮れ、泣き続けた。
いづれ鬼も土に還る時が来る。
その最期の時、彼を看取る鳥達へ、詠うように呟いた。
『来世とやらが有るのなら
願わくば人と成り、
娘と二度び出会いたい』と。
それから幾年時は過ぎ
儀式はおろか、村の伝えも消え果てて
洞には永い年月により静寂のみが付いていた。
鬼と娘が再び出会えたかは今や誰も知る者はなく、
洞の前の森の中
紅の実が唯、人を待つ。
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